日本の近代化のプロセスのすべてが共有する特質である。日本の中産階級の住宅で起こったことは、合理主義という大義名分の裏に隠れたアメリカンスタイルの導入であった。合理主義のコンセプトの裏に隠れて、大量のアメリカンスタイルの商品が、中産階級の住宅の中になだれ込んだのである。一方、和風においては、純粋化された和風という大義名分の裏で、実際には和風に対するモダニズムの導入が行なわれた。モダニズムと和風との折衷による新様式が、より純粋化された、より粋な和風というかけ声のもとに、料亭に、そして家庭の中にまでなだれ込んでいったのである。
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このどちらにも共通しているのは、物質面における西洋化が、高級な「理屈」、そして大義名分の裏に隠蔽されるという仕組みである。ただし現在という時点において、この仕組みの存在に、人々はすでに気づき始めているように感じられる。例えば展示場住宅において、露骨なアメリカンスタイルのコピー商品が人気を集めるのはなぜか。それはすでにこの仕組みの持つウソに人々が気づき始めているからである。合理主義という名のもとに、アメリカンスタイルを買わされていたという仕組みが見え始めているのである。自分達が欲しかったのは、他でもない、アメリカのオウチそのものだった。そういうことに人々は気づき始め、今までよりもっとずっと素直に、そしてある種のゲーム的軽さを持って、アメリカンスタイルの露骨なコピーを購入し始めたのである。それは人々が自分達の置かれている現実に対し、より意識的に対処するようになったということを意味する。自分の好みや趣味を上から見る、もう一つの眼が生まれ始めているということである。その眼が仕組みの持つウソに気づいたのである。